第21話 
薬草採集と薬草園のはじまり
 採薬使 薬園師 薬園生 伊吹山薬園 ◇小石川御薬園 九州の薬園   
 
   薬草は、言うまでもなく、薬用に使う植物の総称です。
大和時代に、大陸から医学が伝わると、薬草の知識、利用は大きく変わり、知識が豊富で薬草の採集方法を教える採薬使が渡来しました。

記録に残るところでは、欽明天皇14年(554)、朝鮮半島の百済国は採薬師の施徳潘量豊を日本に派遣しました。

推古天皇6年(598)に、皇太子厩戸皇子は「薬草は民を養う要物である。厚くこれを養い蓄ふべしと、天皇然とし、勅して之を掘り貯へしめ給ふ」とあり、早くから薬草採りが行われていたことが知られている。

飛鳥時代の大宝元年(701)、大宝令では宮内省の典薬寮の職員の中に
  薬園師2人、薬園生6人、薬戸を置く制度が確立しました。

薬園師は薬草の性質を知り、薬草を植栽、採集し、薬園生を教育しました。
薬園生は種々の薬を学び、薬戸を使い山や沢から薬草を採り、薬園に植えました。

大宝2年(702)、諸国に疫病が流行し薬園の必要性が知られた。
この頃、平城京の南に薬園があったことが知られています。

奈良時代には、貧しい病人に薬を与え治療した「施薬院」の需用を充たすため、
全国から買い取りまた、寄進させた.

  以下時代をおって、主要なことを記す。
平安時代:50種以上貢進した国が多数あった。
室町時代:庭園と薬園とが混合する傾向があった。
安土桃山時代:織田信長は伊吹山に薬園を開き、外国種も植えた。
江戸時代:江戸城の南北に薬園開設。南御薬園は小石川御薬園に引き継がれた。

江戸時代の九州の薬園:
長崎奉行川口摂津守が唐船持来の薬草木植栽のため
  長崎十善寺郷に薬園を開設(1680)。
 ・長崎西山御薬園   島原藩薬園     熊本藩薬園(5ケ所)、
 ・
薩摩藩(吉野薬園、山川御薬園、佐多御薬園)、
 黒田藩薬園      ・久留米藩薬園
 

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